子供を亡くすということ~緊急帝王切開手術~
どーも、たまさぶろうです。
前回の記事、子供を亡くすこと~常位胎盤早期剥離~https://www.fuwari.uk/lost-baby-placenta-abruption/の続きです。
引き続き重い内容なので、大丈夫な方はお付き合いください。
緊急帝王切開手術・・・そして
正直、どれくらいの手術時間だったのかも、どれくらいの間眠っていたのかも覚えていません。
たくさんの点滴に繋がれ、ICUのベッドの上で、酷い吐き気と喉の渇きで目が覚めました。真っ先に、泣き腫らした姉の顔が見えました。
「ごめん、びっくりしたろ?」
姉に私が掛けた、第一声です。
母や兄、叔母夫婦、両親の古い友人の方々が遠くに見えました。私たちを心配して、駆けつけてくれていました。
すぐに旦那さんが、赤ちゃんを大切そうに抱いて入ってきました。
3774gの男の子。
「私たちの赤ちゃん!」
「可愛いね」「立派な赤ちゃんね」
「どっちに似てるかな」
そんな、ごく普通の、当たり前の会話を、旦那さんと交わしました。
本当に立派な赤ちゃんで、今すぐにでも泣き声をあげそうな、死んでいるのがウソだと思えるような感覚でした。
愛おしくて、やっと腕に抱けた喜びと、救えなかったことへの後悔や罪の意識が混ざり合って、旦那さんとたくさん泣きました。
「子宮は取らずに済んだよ!」
そう伝えてくれたのは母だったと思います。聞かされたとき、あぁ、この子が私を守ってくれたんだ・・・と思いました。
身体の傷と心の傷
容態が落ち着くまでICUで過ごし、その後は一般病棟の個室へ移動しました。
移動した先は、産婦人科病棟。
死産を経験した時、赤ちゃんを見ることなくお別れをする方が良いと言われたりもすることもあるようですが、私はできるだけたくさんの時間を過ごし、抱っこしてキスをして、写真を撮って思い出を残したいと考えました。
それは旦那さんも同じ考えでした。
病院側も協力してくださり、私と旦那さんは息子と一晩、一緒に過ごすことができました。小さなベッドに眠る息子をできるだけ近くに引き寄せ、横顔を見ながら過ごしました。
産婦人科病棟なので、遠くの方から赤ちゃんの泣く声が聞こえてきます。
本来なら愛おしいはずの泣き声が、私に現実を突きつけてきます。
涙が自然と流れてきて、止められなくて、
「なぜ?私たちがこんな目に」
「あの時すぐに病院に来ていたら、もしかしたら救えていたのかも」
「私がいけなかったんだ」
自分を責め、こうなってしまった理由を探しつづけました。
正しい答えなんてありません。
すぐに病院に来ていても、ダメだったかもしれないし、救えたかもしれない。
でも、胎盤剥離が起こる2日前の検診では異常は全くなかったし、妊婦生活全体を通して、年齢も血圧も血糖値も体重の増加も、どれひとつとして問題はなかったのです。
なのに常位胎盤早期剥離は私の身に起こった。それが全てでした。
息子が亡くなって2日後に、お葬式をしてもらいました。
私は輸血も必要だったし、ベッドから起き上がれない状態だったので、病室でお別れをしました。
急遽イギリスからも義両親と義弟が駆けつけてくれ、また私の友達も遠方から来てくれて、一緒に息子を天国へ送り出してくれました。
義両親と会ったのは、実はこの時が初めて。
彼らは、一切私を責めることもなく、ただただ深い悲しみを共に分かち合ってくれました。この時のことはいまだに、感謝の気持ちでいっぱいです。
一方で、お見舞いに来てくれた当時の上司(女性)には、病室に入るなり、
「どうして気づかなかったの?」
と言われました。
私も四六時中、自分自身に問うているんです。自分を責めているんです。
どこにもぶつけることのできない怒りのような、悲しみの塊のような感情が、私の心に巣くっていくのが分かりました。
年齢も比較的若かったからか、身体はすぐに快方へ向かいました。それに何より、息子が救ってくれた命、大切にしよう!と思いました。だからたくさん動いて元気になって、みんなが待つ家に早く帰りたかった。
感謝の気持ち
私が緊急帝王切開手術を受けていた間の事を、家族が教えてくれました。
私の血液型がB型のRHマイナスだった為に、県内や隣県からの輸血用血液がすぐには届かない状態での手術でした。
出血量もかなり多く、担当医は母に、輸血用の血液が不足しているので、命を救う事を優先する為に子宮を取り除かなければならない事を伝えたそうです。
でも母は、「私たちが何とかしますから!」と先生を説得し、当時私が勤めていた病院や消防署、役場、友達等・・・とにかく思いつく所に連絡をしてくれました。そうしている間に、ラジオ局に知り合いのいる方がいて、ラジオで血液が不足している事を緊急放送してくれました。するとラジオを聞いたたくさんの方々が、見ず知らずの私の為に病院に駆けつけてくださいました。片道1時間以上かけて来てくださった方もいました。
病院側も一般外来の血液検査を一時停止し、私の為に献血に来てくださった方々を優先するように対応してくださいました。
その他にも、たまたま偶然にも手術の助手で入っていた先生、姉の友達のお父さん、地元の町長さんとの会議に参加していた方(町長さんが会議を中断してくれて)などが献血に駆けつけてくださり、私の命は救われました。
私が皆さんからいただいた総輸血量は5000ml。
血液量は体重の8%ほどだと言われているので、体重が60kgだったとしても総輸血量の5000mlは、ほぼ全身の血液が失われ、献血して頂いた血液と入れ替わったという事になるのではないでしょうか。
本当にたくさんの奇跡や偶然が重なって、私の命は救われた。そして何より、たとえ命は救われたとしても、子宮を失ってしまった後の人生を重く考えてくれた家族の努力と行動力に、感謝してもしきれない思いでした。
どんなに泣いても悲しんでも、息子は帰ってきません。
でも息子を失ったことで分かったこと、得たことはたくさんあります。
人の痛みに添うこと、添おうとする気持ち、誰かのために行動すること。
当たり前な日常は、全然当たり前ではなくて、たくさんの奇跡が起こった上で成り立っていること。
全部、息子との別れで気づけたことです。
もしかしたら、私と同じように大切な誰かを失ってしまって、悲しみに飲まれている人がいるかもしれません。そんな時、全ての気持ちは分からなくても、分かろうとする気持ちや添おう気持ちを見せてあげてほしいと思います。きっと救いになると思います。
でも一番は、私と同じような経験をする人が、一人でも減る様に願っています。
長々とお付き合い、ありがとうございました。
書きたいこと、伝えたいことがありすぎて書ききれず、また当時を思い出しながら書いたので、若干前後したりまとまらずすみません。
10数年経った今でも、当時の私達に関わってくださった皆さんに、
ありがとうございます!
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‘ふわりいぎりす’は、イギリスにいる日本人ライターたちが気が付いたこと、発見したこと、知っていること、思ったこと、教えたいこと、気になることなど、ちょっとだけお伝えするウェブマガジンです。
貴重なお話をシェアしてくださり、ありがとうございました。なぜか私はたまさぶろうさんのお母さんに感情移入してしまいました。年のせいですかね?人間の運命って不思議ですね。起こりえるはずのないことが前触れもなく突然起こって、尊い命が亡くなったのに、まるで完璧な段取りが組んであったかのように別の尊い命が救われる。
悲しみを乗り越えて、2児の母となるまでの続編にも期待します!
ふあにゃんさん、コメントありがとうございます!
当時の事を振り返り、悲しい記憶もたくさんよみがえりましたが、改めて本当にたくさんの方々に助けていただいたこと、思い出すことができました。また、日本の母にも、再びお礼の気持ちを伝えました。
今回、書ききれなかった事もまだまだありますので、続編でお伝えできればと思います。ありがとうございます!