イギリスで産後うつ
どーも、たまさぶろうです。
お掃除の仕事
コロナ禍の中、マスクは常時着用(車の中でも)、ハンドサニタイザーをこまめに使用、お家のドアノブや電気のスイッチは除菌スプレーで拭く等、コロナ対策色々やってます。今のところ、コロナ不安でのお客さんからのキャンセルは全く出ていないので、お仕事ができて本当にありがたい事です。それにマスク着用で仕事をしてるお陰なのか、第一弾ロックダウン時にかなり増えていた体重が、知らぬ間に減っていました(これは超ラッキー︎?︎)。少ない酸素でもバリバリ動けるので、登山始めるなら今かも!と思ってます(山登り、行きたーい)?
ところでここ最近、日本の芸能界で相次いで著名な方々が自ら命を絶ったニュース、本当に衝撃的でしたね。正直、未だに信じられないです。同時期に、お客さんから知人のお葬式の出棺の見送りにだけ行く話を聞きました。亡くなったのは20代初めの方で、自殺でした。よくよく話を聞くと、数年前までお掃除に伺っていたお家のお子さんだと判明!会えば挨拶をしてくれるあどけない笑顔が印象的な子でした。まだまだ若くて未来だって無限大の可能性があっただろうに、残念でなりません。遺されたご家族の事を思うと、胸が苦しくなりました。
自分で命を絶つと決めた本当の理由は本人にしか分からないし、衝動的だったのかも知れません。コロナの影響があったのかもしれないし、憶測だけでは何も言えません。側にいた家族でさえ理由が分からず戸惑い、きっと気づけなかった自分達を責めているに違いありません。本当辛いですね。
・・・なんだか始まりから暗い話になってしまいました。で暗い話続きになりますが、今回は自殺の原因にも多い産後うつについて、自分の経験談を書こうと思います。実際に産後うつだと診断されたわけではないけれど、当時を振り返ってみたら、相当当てはまる事が多いと思いまして、参考までにここに記しておきます。
まさか自分が産後うつに!?
皆さん既にご存知かと思いますが、たまさぶろう、第一子を死産で亡くしています。その後紆余曲折を経て息子と娘っ子を授かることができ、本当にありがたく思っています。
息子を日本で産んだ時は、多少の不安はあったけど幸せいっぱい、頭の中にお花が咲いてるんじゃないかと思うくらい常にHappyな感情でした。それが、娘っ子をイギリスで産んだ時は全くそうではありませんでした。
どこのご家庭でも同じだとは思いますが、出産前から、仕事をしながらの2人育児が自分に務まるのかどうかの不安、産休中の経済的な不安が大いにありました。学校の先生である旦那の助けは当てにならないと思っていたし、義両親はかなり近所に住んではいるものの、具体的にどんな助けを求めて良いのか分からずにいました。やる前から考えすぎて頭でっかちやったんですね、今思えば。
帝王切開後直後から、オムツも付けてもらってない娘っ子と24時間一緒の育児開始。息子出産時の日本での至れり尽くせりの入院生活とのギャップに、かなり困惑。術後2日目で帰宅。帝王切開での出産だったのもあってか、ホルモンの分泌が追いついてないのか母乳の出がしばらく悪かったです。新生児って、生まれてしばらくは体重が減るのはよくある事なんです(生理的体重減少)が、娘っ子の体重が正常範囲よりも多く減ってしまいました。母乳育児だけにこだわっていた訳ではないのに、こっちの助産師の「母乳だけで!」なんていう母乳神話(自分は絶対吸わせてないやろに!)に従って、粉ミルクをほぼほぼ使わずに頑張ってしまったのがいけなかった。結果、病院に母子ともに逆戻りになって経過観察することに。「十分に母乳の出ない母」なのだと自分を責め、日本から母も出産に駆けつけてくれていたのに一緒に過ごす時間が減ってしまうのも辛くて、どんどん自信を無くし始めました。
経過観察入院中、決まった時間に母乳搾乳マシーンを付けて、乳首が腫れ上がるまで搾乳。搾乳量をチェック。その後その腫れ上がった乳首を吸わそうにも、痛くて痛くて?24時間母子同室で身体の回復がないと乳も出んやろ!と思いながら、その時はそんな風に怒りの感情も湧きもしませんでした。入院3日目にしてやっと娘っ子の体重増え率が伸びたので、帰宅を許されました。
退院後、頻繁にヘルスビジターの訪問を受け、毎度娘っ子の体重測定と体重増加の事ばっかり言われる日々。やっと身体も回復し始めて母乳量も増えてきたのに、「毎回毎回、自分が至らない母である」とレッテル貼られてる感覚に陥って、耐えきれずにヘルスビジターに怒り泣き。この頃から、感情のコントロールができてなかったかも。
食事を作るのもしんどくて、でも慣れない台所で母に頼りすぎるのも良くないと自分で作ってみるけど、かなり手際が悪い。その内、会話したり外に出たりするのが億劫になってきて、イライラして常に不安感に支配されていました。本来なら、新生児とのんびりゆったりとした時間を過ごせているはずが、この頃は娘っ子を見ても、可愛いとかそういう感情が分からなくなって・・・実際、この時期の娘っ子の写真が少ないですね。
ちょうど旦那の2週間の育児休暇(paternity leave)の終わりと母の帰国時期がガッツリ重なっていて、迫り来るXデーを思うと1人でこれからどんな風に子育てしていったら良いのか、漠然とした不安に押し潰されそうになり、知らない間に勝手に涙が出て、泣いて泣いて泣きまくってました。
ここで産後うつのよくある症状について書いておきます。
・気分が沈む ・涙もろい ・疲労感、無気力感 ・育児や家事に集中できない ・物忘れが多い ・母親失格だと感じる ・物事に対応する判断力が低下してしまい、対応できない ・この世から消えたいと感じる
・・・ほとんど当てはまってますよね?でも当時は自分が「産後うつかも」なんて思いもしなかったし、誰もそうじゃないの?って言わなかった。友達には元気な姿を見せようと努めていたし、元々の性格か、「自分は大丈夫」と弱みを見せたくなくて強がって見せていたところもあったのだと思います。
では、どうやって回復したのか。
これが決め手!というのは正直分からないです。息子のスクールラン、学校と自宅が徒歩30分以上の場所(車なら10分弱)で、車の運転も産後1ヶ月までは制限されていたのでどうすべきか困っていました。するとお掃除屋のボスが「息子くん、うちの旦那が送り迎えするから、全く心配無用よ?」と言ってくれました。かなりありがたいオファーで、私が家の外に自信を持って出られる様になるまで、しばらくお世話になりました。
それと母が帰国する前、一度かなり大泣きして全ての不安な感情を母にぶちまけました。大人になって恥ずかしくて甘えるのを我慢していたけど、子供の頃に戻ったように、抱きついて泣きじゃくりました。本当に不思議な話なんですが、母が日本に帰る日、空港にいる母と電話で話した後、「ああ、お母さんは本当に高知に帰るんや」と思ったら、なんか心がシャキッとしたんです。腹をくくれたというか。なるようになるし、完璧じゃなくても何とかなるって思え始めた。それまで頭の中のかかってたモヤモヤがスーッと晴れて、お日様が出てきた感覚でした。
その日から、少しずつですが自信を取り戻せて肩の力を抜く方法が見つかりました。結局、産後2ヶ月から人手不足の時に短時間だけ仕事復帰することになって、相談して義母が娘っ子を預かってくれることにもなりました。
自分を完璧主義だとは思いませんが、妊娠が分かってからずっと「私がちゃんとしないと!」「全部自分で抱えてやっていかんと!」と思い過ぎていたんだと思います。それと、社会から取り残されていくような疎外感もずっと感じていましたし。
目の前にある不安の解消(スクールラン等)と、仕事復帰した後の具体的なサポート体制(子供のお世話は誰がしてくれるのか)、仕事復帰する事で誰かに必要とされていると感じ社会との繋がりが持て、自信回復に繋がる、収入を得て経済的不安の解消・・・私が抱えていた漠然とした不安を、周りの人達の具体的な援助で解消してもらえた事が大きかったのかもしれません。
おかげさまで、その後は上手いこと手抜きしながらそこそこ頑張れています。子供たちが大きくなるにつれて、あの時とはまた違った不安や悩みに頭を抱える様になりましたが、少しずつ「お母ちゃん」になっていってます。もし今現在1人で苦しんでいる人がいたら、頑張らなくていい、周りのみんなに甘えまくっちゃっていいんだよ、自分自身を追い詰めずに、上手くいかなくて当たり前、何とかなるし今でもあなたは十分良くやってるよ!と自分を褒めてあげて欲しいです。また、周りの人たちも、小さなサインに気づいてどんな些細な事でも手助けしてあげて、暗闇から抜け出すきっかけになってあげて欲しいなと思います。
今日も読んでくれてありがとうございました!では皆さま、良い週末を☆
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