失業とコロナと酒と介護③
どーも、たまさぶろうです。
意を決して3年以上ぶりに日本への里帰りをしようとチケットを取ったものの、キャンセルになったら、乗り継ぎ上手くいかんかったら、搭乗前のPCRテストで陽性出たら・・・とそんな事ばっかり考えて、里帰り自体を辞めてしまおうかと日々葛藤しています、たまさぶろうです。
そして、先日娘っ子が、とうとう水疱瘡(チキンポックス)の洗礼を受けまして、それと同時に旦那が尿路感染症になり、病人2人を抱えて、仕事に追われ、キャパ越えしまくっておりました?
さて今日は、アルコール依存性の義父の話の最終章です。
失業とコロナと酒と介護①、失業とコロナと酒と介護②で、義父のアルコール依存性の経緯を書いてきました。
結論から先に言いますと、まだアルコール依存性の克服までは至っていません。ですが、少し改善が見られてきたので、書いておこうと思います。
認知症のお母さんの介護
義父がアルコールからの離脱症状から回復してしばらく経った頃から、義父はお母さんの介護に週2回通う事になりました。仕事をしていないので時間はあるし、単調な生活に変化をつけるためにも、責任感を持って誰かの世話をするのは良い事だと思いました。
義父がお母さんの介護に通い始めてから、全てが順調に進んでいるように見えていました。
介護のない日には、娘のお迎えを頼む事も出来るようになったし、会話も前向きで、以前よりも元気な様に見えていました。
それが、日を追うごとに、また少しずつ気分のムラが見え始めたのです。毎朝仕事(と学校)に行く前に、娘と義父に部屋のドアをノックし話をしてから行くのですが、同じ事何度も聞いてきたり、ちょっとボーっとしている日もあったりして。
でも、
「お酒飲み始めてないよね」
の一言を聞いて良いものか、なかなか決めかねていました。
娘っ子の学校から電話が
そして、忘れもしない、3月3日のひな祭りの日。
仕事で帰りが遅くなりそうだったので、義父に電話して娘っ子のお迎えを頼む事にしました。
「オッケー、迎えに行くわ-」と返事をもらい安心しきってました。
3時30分、「今日のお迎えは誰ですか?」と学校から電話が‼️
え!!!電話してオッケー言ってたのに!義両親の家から学校までは徒歩2分なので、途中で何かあったとは考えられません。
パニックに陥ったものの最終的には義母と連絡が取れ、義母が買い出し先からタクシーで急いで戻って、娘っ子のお迎えに行ってくれました。
娘に申し訳ない気持ちと、お迎えに行かなかった義父への怒りの感情とが入り混じった状態で、娘を義両親宅に迎えに行きました。
義母が開口一番、「オトン、なんかおかしいで。呂律回ってないしまたお酒飲んだかも」
またか・・・本当はそのまま、家に帰るつもりでした。もうこれ以上、期待をしたり関わるのはしんどいと思ったから。それに、義理の娘の私じゃなくて、旦那や旦那の弟妹が話すべきとも思ったし。
でも、義母は自室に篭る義父の姿を自分で確認する訳でもなく、私の背後から義父への文句をグチグチを言ってるのを聞き、腹が立ったので「お前もうるさい!黙れ!」と言い放ち(気性が荒いのバレバレ?)、その勢いで、義父の部屋のドアを開けました。
義父の心の中
案の定、お酒を飲んでいた様で、呂律も回らずまともに話もできない義父。
本人にお酒を飲んだか否かを問うと、「飲んでない」の一点張り。
でも、お酒も飲んでないのに、呂律も回らず会話もままならないのは危険なので、手足を動かせられるかどうか、生年月日と自分が今どこにいるのか分かるかを確認してから救急車に来てもらうと話をしました。
しばらく頭を抱えていた義父。そしてとうとう「お酒飲んだ」と白状しました。
そこから1時間、ぽつりぽつりと義父が話を始めました。そして急に嗚咽をあげながら泣き始めたのです。
「母が恋しい!」
以前、話し合いをした時は義父のお父さんの事を話していました。今回はお母さんです。どうやら、週に2回の介護が相当の負担になっていた様でした。
「子供と話しているようなもので、お母さんだけどお母さんじゃない。どんどん僕の事を忘れていくんだ。以前のお母さんに会いたい。もう会えないけど、会いたい。」
そう言って泣くんです。
目の前にいるお母さんは、お母さんの姿はしていても、もう息子の名前を呼ぶ事はない。母親として抱きしめてくれる事もない。もし私の母が認知症になったら...想像しただけで辛いです。
「周りのみんなに、お母さんの具合はどう?と聞かれるたびに辛い。決して良くなる病気じゃないから、そういうのも負担に思う」
・・・確かにそうだ。
悪意はなくとも何気なしに聞いてしまう(会話として)一言で、相手を追い詰めてしまう事ってありますよね。私も何気なしに聞いてたなと思い、ごめんねと謝りました。
話を聞くうちに、義父がアルツハイマー認知症であるお母さんを受け入れきれてないのがすごく分かりました。
でも、それらのストレスの発散の仕方がまた『酒』であったことは間違いだと伝えました。
「介護に行くのがしんどければ、他の姉兄に話してアレンジし直す事も出来る。前にも話したけど、しんどかったら私にも話して欲しい。いつでも聞くから。お酒を飲んで、その時は目の前の問題を忘れられるかもしれないけど、何の解決にもならない。」
「孫は変わらずおじいちゃんを慕って、お迎え来てくれるのも楽しみにしてるのに、孫のお迎えが出来ないくらい飲んで、それがお父さんの幸せか?」
1時間ほど、本当に深く深く話しました。
最後に、「ほぼ毎日、様子見にくるし、お酒飲んだかどうかも聞くから。もうく私たちの間には、隠し事は必要ないから!」と確認して、やっと部屋から出てきた義父が、娘にお迎えに行けなかった事を謝ってその日は終わりました。
息子(旦那)、ついにキレる
私と義父の話し合いから1ヶ月くらいは、大人しくしている様でした。
私だけでは無理なので、義妹にも電話し、出来るだけ義父に連絡を取り、サポートしていこうと決めました。
ほぼ毎日、「どんな気分?」「お酒飲みたいと思った瞬間はいつ?」
「お母さんの介護に行く気分はどう?」「飲みたいと思った時は、話しよう」
そんな会話をして、義父の様子を伺っていました。
それが少しずつ、
「昨日は少し飲んだ」「毎日は飲んでない」「飲んでも1-2本だけ」
そういう報告に変わりました。
義父、自分がアルコール依存性であるとは認めていないので、少しだけなら...とまた手を出した様です。
以前と違うのは、私に隠さなかった事。でもやっぱり、間違ってます。
私は専門家ではないので、専門家に会った方がいいよ、と言っても、本人はその必要はないと思っているので、軽く聞き流されてしまいました。
そこで、義母と2人、ゴミ箱漁りました?
義父の飲酒量を知るためです。
出た!
一体、どれくらいの期間でこれだけ飲んだんだろう。飲んでる間は嫌な事を忘れ、我に返って飲んでしまった自分に言い訳をし、現実に向き合う勇気が出ずに苦しんでる。その繰り返し。
この空き缶を見つけた翌日、義母から電話かかってきました。義両親はお酒をめぐって言い争いをした模様。私の旦那、全て話は私から聞いて知っているものの、特に何か行動に移すでもなく、私からの報告を待っているのみでした。
でも、この日は動きました。
車に飛び乗り実家に着くなり、空き缶をゴミ箱から出し、義父の部屋のドアを蹴り開け、全ての空き缶を義父の投げつけ、罵倒しまくったそう。
「俺にはお父さんの抱えてる問題は、共感出来るけど理解は出来ないし、辛いからって、酒に逃げるのは間違ってる!可哀想だなんて思いもしない。」
「俺のお父さんを返せ! 俺のお父さんは写真の中で孫を抱きしめて、幸せそうに笑っている男だけだ。 こんなアルコール依存性の男なんて、父親でもなんでもない!」
「自分がアルコール依存性なんだと認め、自分でAA※(Alcoholics Anonymous )に連絡してリハビリするまで、一切関わりを断つから!もしそれも出来ないんだったら、息子だけじゃなくて、孫たちも失う事になる覚悟でいろ!」
※AA(Alcoholics Anonymous)とは、世界中に広がった飲酒問題を解決したいと願う相互援助の集まり
今まで、出来るだけ関わらないようにしてたけど、流石に今回はブチ切れましたね。その場にはいなかったけど、旦那のキレ方容易に想像できました。
最終的に旦那をブチ切れさせたのは義父のこの一言。
「誰にも迷惑かけてないし。」
は?お義父さん、そりゃないぜ。迷惑かかりまくってるやん。
正直なところね、私自身も疲れ切っていました。
毎日毎日、義父の様子を確認しに朝と仕事終わりに行き、義母からは愚痴と文句を聞かされる。
娘は義父に会いたがるのに、気分の浮き沈みの激しい日は出来るだけ会わせないようにしたり、仕事や日々の生活もある。
帰宅後に旦那と義父の話をするだけで、自分等にも暗い気持ちがのしかかってくる。
もう、毎日をやっとのことで気力だけで乗り切っている感じ。
スタート地点に立つ
本当は義父に、自分から「飲酒をやめたい」そう思って欲しかったし、そのために働きかけてたつもりでした。でも、周りがどんなに言おうが諭そうが、本人にその意思がなければ、全く意味がないんです。
旦那がブチ切れた一件から、私は少し距離を置くようにしました。
相変わらず毎朝、仕事前(登校前)に義実家に寄って普通に話はするし、娘も会わせる。だけどお酒については何も聞かないし、旦那との橋渡しもやめました。
男2人の出方を様子見です。
で、つい先日、義父から旦那に電話がありました。
『AAに自分で連絡して、2回ミーティングに出たんだ。お前に言われたことは正直酷いと思ったし、傷ついた。でも、踏み出すには必要だったんだと思う』
『同じ様な悩みを抱える人たちにも出会ったし、これからも、定期的に通うから』
電話はほんの数分で終わってしまったけれど、義父のアルコール依存性との闘いと、父子間の関係修復も、やっとスタート地点に立ったというところです。
旦那は、ここからが始まりでただ数回ミーティング行ったところで、何の解決もしていないと言います。私も同意です(珍しく意見が合いました?)
でも、変われるって信じたいし、やり遂げてくれると信じます。
8月には孫がもう1人増えます♡あ、たまさぶろうじゃないよ、義妹の子だよ?
その子のためにも、もちろん私たちの子供達にも、堂々と胸を張って誇れるおじいちゃんでいて欲しい。
失業とコロナと酒と介護①②③と長々と書き進めてきました。みなさん、読んでくださってありがとうございました。いつかこの記事を読み返して、「ああ、こんな事もあったね」と笑って話せる日が来る様にと願っています。
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