誕生日とは
こんにちはジゴロッキーです。
さて今日はこんな話を聞いたというのを紹介したいと思います。
題名
「誕生日とは」
(登場人物)
息子: 大学入学以降、実家を出て、上京、1人暮らし、その後は会社に入り普通のサラリーマン
母: 息子が学生時代はお弁当を欠かさず毎日作ってくれた優しい母
5月のある日、ある親子の電話での会話
息子「お母さん、1日遅れちゃったけど、母の日おめでとう。」
母「ありがとう。プレゼント届いたよー。」
息子「よかった。あと、来週はお母さんの誕生日だよね。何か欲しいものある?」
母「うん、いつもの美味しい梅干し送って!」
息子「わかった。じゃあ、来週はそれを送るね!」
母「ありがとう。待ってる。」
息子「おっけー。。。。。」
母「じゃあね。」
息子「じゃあね。」
電話が切れる。
実はここで息子は少し違和感を感じた。なぜなら、この電話をした日は息子の誕生日だったのだ。
息子は母からの「お誕生日おめでとう。」の一言が欲しかったが、母からは聞こえなかった。
誕生日といえば、通常、当人がサプライズを期待するケースと、自らパーティーを開いて招待するケースがある。小さい頃、高校生(18歳)ぐらいまでは、親に祝ってもらったり、友達と遊んできなとお小遣いをもらったりと、そりゃまあ親のお世話になったかもしれない。しかし、社会人になり親の元を離れると、親は、子供が期待している誕生日を忘れてしまうこともあるだろう。それがさらに10年20年もするとなおさらだ。
ここの電話の会話では、息子は残念そうに電話を切ったが、すでに親の元を離れて10年以上も暮らしている自分を思えば、あまり誕生日のプレゼントやお祝いの言葉を期待せずに、がっかりすることもなかっただろう。
そこで、息子は違った視点から考えてみた。
自分がこの世に誕生した日を思い出してみよう。(そんな記憶はないと思うが、一般的に)母は40週間の妊娠期間を安静に過ごし(やりたい乗馬もできなかっただろう。飲みたいお酒も飲めなかっただろう)、そして出産当日はこの世の全ての痛みと戦う思いで、生まれてくる子供に愛情を注ぎ、自分の体の生命力を全力で使い、今までこの世で存在していなかった生命を送り出すのである。
これが誕生の日である。
誕生日。我が子はあれが欲しい、これが欲しいと、周りも誕生会をやっているから、うちもやりたいと言う。母親は子供の要求に対して、子供が喜ぶならと、お金、時間を惜しみなく愛情を注ぐ。
そして息子は思ったのだ。自分が五体満足立派に生きてこられた今、思うべきことは、誕生日こそ母にありがとうと伝えるべきだということだ。
母からの言葉を期待してはいけない、頑張って産んでくれてありがとうと母に言うのが本当の誕生日にすることである。
息子は思った。「誕生日は今ある自分を母に感謝しなければいけない。誕生日は祝ってもらわなくていい。言葉もいらない。祝うなら母にありがとうと言って、一緒に過ごしてあげるのが、最高のお祝いなんだ。」
そして、翌日、母から、メールが届いた。
母「お誕生日おめでとうのメール、遅くなってごめんなさい。あなたもお母さんも、同じ五月生まれ、お互い、新しい気持ちで、頑張りましょう。母より」
息子「こちらこそお誕生日ありがとう。」
終わり
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