神様目線
人間が死んだら、どうなると思いますか?
こればっかりは死んでみないとわからない。 ひたすら『無』? それとも見覚えのある人がお迎えにきて天国っぽい所に案内される? よく聞く三途の川の向こうで「まだきてはダメ」と言われるとか・・
決して想像の範囲を超えることはないですよね。
私は最近こんな想像をしています
死んだらワークショップのように6人1組になってそれぞれ、自分の人生を振り返る。それを長々と、こと細く、みんなに話す。
神様の前で。
神様にとっては毎日の日課である「人の人生の振り返りを一緒にする」こと。
神様目線ではどんな話が面白いのかなと考えると・・
私たちの価値観はとても危いものです。国や性別で変わるし、一昔前(ちょっと前までは10年ひと昔、今はiPhoneのモデルチェンジが2年に一度なので4年ひと昔?)という時代でも簡単に変わってきますよね。
神様はそんな人々の違いを聞くのも飽きないと思いますが、何せ毎日のこと。「小さい時に一生懸命勉強して、成功して豊かな暮らしを手に入れ、子供にもそれを教え、子も成功し、孫と薔薇に囲まれて老後は幸せでした。」という話も「宝くじが当たってクルーザーを買ってパーティー三昧」「youtuberになって一攫千金、どのセレブレティにも引けを取らない扱いを受けるようになった」。。成功した話も山のように聞くでしょうし、
逆に大変な人生だった話、毎年天災で生活を脅かされた、生まれた時から人類はウィルスに脅かされマスクをする習慣だった、大きな怪我、大切な人を失くした時の話。
自分が神様だったら、どんな人生が「へえええ!!それで??凄いねそれ!それでどうなったの?どんな決定したの?頑張ったよ、凄い経験!」と思うでしょうか。エンターテイメント的な話を聞かせなくてもいいと思うのですが、多くの価値観に縛られた人間たちが自分の意志で納得して決めた道を歩めていたかな?というのも神様の気になる所だと思うのです。他人に言われて他人の価値観で生きてきた人生は、その他人のもののようであって、目の前にいる人間の思い出話とは思えないですよね。
長くてもたった100年の短い人生、旅を終える時も、生まれた時と同じみんな裸ん坊、持って行けるのは自分の心だけ
まず自分に付属していた物、人が無くなるのでしがらみが無くなる。自分と向き合うことになりますよね。
価値観も、生きている頃は「命が全て、生きていることが一番大事」と基本は生命活動のために働きますが、死ぬとその生きるためという価値観、大前提がなくなってしまうのでこれも結構なパニックだと思います。
「両親の娘であった自分」「誰かの恋人であった自分」「親だった自分」「上司だった自分」「富豪だった自分」「誰からも注目を浴びなかった自分」
全部なくなって今まで経験したことのない「おひとり様」の自分の話。
・・・・
今考えても仕方ないですね。
できることは「今 自分の意志で生きられているかどうか」確認することくらいでしょうか
どんなしがらみ、制約があっても「自分で納得してそこにいるかどうか」は大切なことだと思います。
しかし大人の私たちには確認はできますが、子供たちには難しいことですよね。自分でも知らない間に生きていくのが辛くなり、誰のせいにもできず苦しい今を突然終わりにしたくなる。
この時期、試験試験、受けて当たり前、結果を出して当たり前、一番大好きな人が試験の結果を鬼の形相で見守っている。(ひいいいいいい恐ろしい。)
一歩も前に進めなくなった子の話は毎年聞きます
その子が神様に「あんたの母ちゃん強烈だったねえ。。でも愛してるんやろ?」と言われてるかもしれません。
ワークショップで神様が聞いて「へえ!!それで??」となる話は何にチャレンジしてどんな経験になったかであり、感慨やら後悔やらは学びなどは二の次の様な気がします。
自分の人生を生きれているか、今朝は今一度確認してみてください。
神様の前では「おひとり様」であることを前提に〜。
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