コロナに感染しない幸せとコロナから回復する幸せ
みなさまこんにちは。Evaです。
数日氷点下が続き、夫の手伝いでケントまでドライヴした私は雪景色を見ることができました。久しぶりに凍結路面を運転する緊張感も体験して故郷の北海道を懐かしく思い出しました。
みなさまのお住まいの地域ではいかがでしたか?子供たちが遊べるくらい降ってくれると嬉しいものですね。
最近イギリスではr rateが落ち着いてきたようですが、みなさまのご家族はいかがお過ごしでしょうか?
昨年3月からのロックダウン、そして11月からクリスマス前までのロックダウンが終わり、やや規制の緩んだクリスマス期間が終わると義妹がコロナに感染しました。すぐに姪と甥も感染、自宅療養に入りました。更に一週間ほどして義母も念のためにと受けたPCR検査で陽性となり、その時点では陰性だった義父もコロナの症状が出始めました。
この頃、私は眼精疲労のひどい症状がピークで (瞼マッサージの効果をご参照ください) 彼らの心配はしつつも、重症化はしないだろうと信じていました。持病もないし肥満でもない。若者は軽い症状で終わるし子供は無症状の場合だってあると,終始希望的観測でいたのです。
一週間経ち義妹が回復し始め、姪と甥も症状が和らいだところで義母の症状が重くなりました。引き続いて義父の症状も重くなって肺炎の疑いが出てきました。コロナ肺炎です。幸いなことに義母はそのまま回復へ向かったのですが、義父の症状は変わらず、とうとう救急車を呼びそのままSt Helier Hospital へ入院しました。
義父が入院した病棟は男性の高齢者の方が多かったようです。義父は死への恐怖からほぼ錯乱状態で、スマートフォンを手放さず夜中でも家族と連絡を取りたがりました。ビデオコールで見えた病室には、口を半開きにして気絶したかのように見える患者さんや認知症で数秒ごとに怒鳴り散らす患者さん等、普通であれば個室になるケースもコロナ肺炎患者という括りで同室になっていました。入院したのだから回復するだろうという私達の予測とは裏腹に、義父は看護師の言うことを聞かず睡眠も取らず、呼吸器でさえも取り外してビデオコールを続けました。その状態は家族である私達をも緊張させました。義父は強い人ですが、その義父が恐怖に駆られるほど病棟自体がコロナ肺炎患者で占められ、毎日空になっていくベッドを目の当たりにしていたのです。そして認知症のような症状が始まりました。あまりのストレスに耐えられなくなってきていたようでした。
実は、私と義父は7年間会うことも口を聞くこともしていませんでした。よくある日本人嫁対イギリス人舅問題です。夫にも葬式には出るがそれまでは会わない!ということで了解をもらっているくらいでした。義父も経緯を理解してかこの7年コンタクトを取ってくることは一切ありませんでした。
ところが、夫とのビデオコール最中に私を呼び「頼むからここから出してくれ」と頼むのです。家族全員に懇願した上に疎遠になっている私にまで……pandemicという状況とコロナ肺炎という症状からいって勝手に退院することはできません。私は返事に困り、沈黙しました。追い詰められている義父に理詰めで諦めさせることができなかったのです。私だけでなく、血縁者全員にこのプレッシャーがのしかかりました。
それからは、一日一日が戦争のようでした。義家族の中では小さな衝突が起こり続け、夫には電話が鳴りっぱなしでした。ホームケアやそれに必要な設備の手配等で仕事が手に付かない状態が続きました。 約三週間経った頃、自宅療養に切り替えても良いという医師の診断が出ました。NHSから酸素吸入器の設置がされ、病棟で義父の世話をしてくれた男性ナースに頼み込み、退院当日のケアをしてもらう手配をして救急車での帰宅となりました。夫がPPEキットを着けて救急車を出迎え、義父を寝室に運びました。ところが、願いが叶ってやっと帰宅できたというのに、まだナースが到着していないことで義父はパニックを起こしました。酸素レベルはどんどん下がるのに、吸入器をつけようとせず喋り続け、ビデオコールを始め……夫は人生で初めて義父を怒鳴り散らしました。スマートフォンを取り上げる事で酸素吸入をさせる事しか思いつかなかったのです。
私はコロナ禍の中でも楽観的に過ごしてきました。毎日の生活はそれなりにたいへんでしたが、身内に感染者は出ておらず私自身も感染しないままここまできていたからです。過去にBCG接種を受けているからなのか、凄まじい数のサプリメントを摂っているせいなのか、予防に成功しているのか……それはコロナに感染しない幸せでした。私はコロナに感染しない幸せを味わい続けていたのです。
義父が退院した翌日、私はお花とチョコレートを持って訪ねました。 まだテスト&トレースでもコロナに感染する可能性を残したままでしたが、義父が回復しなかった場合、認知症が更に進んでしまった場合を考えると、今会っておかなければ私を認識できなくなるかもしれないと思ったのです。
それは、感動的な再会にはなりませんでした。義父には、今会うことの重要性が理解できず、私も会いにきた理由を説明するわけにはいかなかったからです。 コロナ禍で、彼がコロナ肺炎を患わなければ決して会おうなどとは思わなかったでしょう。それでも、回復するのを待っているからと、治ったらまたテニスの試合をしようと告げて帰ってきました。
それから二週間が経ち、潜伏期間を終えてこれを書いています。私と夫はコロナに感染しなかった幸せを味わっている、ということになります。
義父はゆっくりと回復し、ビデオコールでは「We going to order take away because of COVID♫ COVID-19 ♪」とナースと合唱するくらい精神的にも復活してきました。入院中錯乱状態だったことは全く記憶にないようですし、私にも普通に話しかけてくるようになりました。入院中の義父と現在の義父を見ていると、これがコロナから回復する幸せなんだと実感していますし、私達家族はその幸せのおこぼれをもらっている、そんな風にも思えます。
この2021年という年が、世界中のみなさんに少しでも優しい年であるよう願うばかりです。
(コロナ禍で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします)
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‘ふわりいぎりす’は、イギリスにいる日本人ライターたちが気が付いたこと、発見したこと、知っていること、思ったこと、教えたいこと、気になることなど、ちょっとだけお伝えするウェブマガジンです。
こんにちは。コロナ渦中にオートマのドイツ車の照会をさせいただいた者です(その節はお世話になりました)。
うちも同じ頃に義理の両親(イギリス人)2人とも感染しそのうち一人が入院しました。当事者の精神的な困憊も相当な物だったと思いますが、周りの者のemotional roller coaster大変だったと御察しします。それが普段行き来のない間柄だと特に。。ですよね。Evaさんも、ですが旦那様の精神的な負担も。。
コロナの騒動はなんのドラマも望んでいないところにドラマを作り出し、考えさせる機会を作ってくれ、個人的には通りたくない道を通る羽目になったのかもしれませんが、ポジティブに考えてひとまわり大きくなる機会となるといいですね。
末筆になりましたが、ご家族のご健康をお祈り申し上げます。
通りすがりのもの様、お世話になっております。
コメント頂きましてありがとうございます。義理の家族なだけに夫を支えるのが精一杯でした。今週になってようやく、家族全体が落ち着いてきた様子に思えます。大切な存在を守りつつ、感染しないように、また感染させないように最大限の注意を払って生活したいものですね。