イギリスで楽しい同居のススメ~その1~
どーも、たまさぶろうです!
朝日が昇る時間が早くなって、日照時間も長くなってきましたね!春が近づいてくるのを感じ、ワクワクしております!
さてさて、今日は、イギリスでの義両親との同居について、書こうと思います。現在は収入に全く見合わない、狭くて高い賃貸フラットに住んでいますが、かつては3年間もの間、旦那の義両親&小姑(義妹)と暮らしていました。
他の国際結婚のお友達の中にも、義両親との同居経験者がいますが、
「半年でギブアップした」
「最終的に追い出された」
「地獄のような日々だった」
という話ばかりで、3年も義両親と一緒に住んでた私は、むちゃくちゃ上手くやってたもしくは、頭おかしかったんじゃないか?という事に気づきました。
ということで、今回は、どうしてたまさぶろうが3年間も同居を続けられたのか、その謎に迫ってみようと思います(笑)
初めは気疲れの日々
2012年の秋に渡英してきたたまさぶろう家。当時、旦那は無職だったので、義両親(特に義父)がスポンサーとなって、受け入れしてくれました。
寝室4つ、居間2つの家で、寝室1つと居間1つを使わせてもらい、義両親、義妹、たまさぶろう夫婦と息子の、6人での同居生活がスタート。
当時は、本当に英語が話せなくて、旦那以外の英語が本当に聞き取ることができなかったので、簡単なコミュニケーションもままならなくて、でも一緒に住んでるから逃げることも出来ず、毎日旦那を介しての会話に頼っていました。
唯一、四六時中私と日本語で会話をしてくれたのが、当時まだ3歳だった息子。慣れない英語ばかりの環境の中で、疎外感や孤独感、話せないことへの苛立ちばかりを感じていた私にとって、息子の存在は本当に有難かった。何度も救われました。
あ、旦那の日本語も有難かったよ・・・(取ってつけたかの様ですけど)
しかも、高知の田舎モンがいきなりイギリスなんか来ちゃったもんだから、怖い人に絡まれるんじゃないか、財布スられるんじゃないか、と不安ばっかりで、近所のお店にも1人で行けない日々。家から1歩も出ない日もありました。
でも、息子の幼稚園決めだとか免許証の取得等、しなくてはいけないこともあったので、旦那の助けを受けながら、なんとか過ごした数週間・・・
さて、新しい土地に来て、1番気になる大切なことは食べること。
でも使い勝手のよく分からない他人様の台所と、日本の食材以外で料理を作ることに慣れないこと、大量の晩御飯(総勢6人、偏食&良く食べる&巨漢)の支度が大変なこともあり、よく義母のご飯に頼っていました。
でもね・・・微妙なんですわ、味が(ごめんね、オカン)
それで、息子が幼稚園に行き始めて時間ができ、義母が私専用の戸棚も準備してくれたこともあり、やっと自分で買出しに行けるようにもなって、自分たちの分は自分で作りはじめました。
また義父がアジア系のスーパーを何軒も知っていて、休みの日にはよく買出しに連れて行ってくれました。しかも、私たちは無職でド貧乏だったので、支払いも義父がしてくれました。(本当にありがとう!)
慣れてくると、肩身の狭い思い・・・
でもね、だんだん、イギリスでの同居生活に慣れてくると、このままじゃいかーん!おんぶに抱っこじゃ、肩身が狭い!と思い始めたんです。
義父はバリバリ仕事してるし、義母も週に何日かパートタイムに出てるし、旦那は旦那で、職探しに奔走?してる。元々家でじっとなんてしてられない性分なので、じゃあ、家のことはできるだけ私がやろうじゃないか!と思ったわけです。
義両親は、洗濯は時間があるときにまとめて大量に洗濯するので、洗濯カゴがいっぱいになっても、気にしない。いや、本当のところは義父と義母の、洗濯の押し付け合い?を垣間見ることになったのです・・・
洗濯大好きな私は、洗濯カゴの底が見えないとなんだか落ちつかないので、じゃあ、私がやろうじゃないか!と洗濯物担当になりました。勝手にね。
で、ここで、忘れてならないのが、義妹の存在です。
当時20代前半だった彼女。服屋さんでバイトはしてたけど、ほーんとに家の事、自分の事すら何もしない、メイクとダンスと音楽に没頭中のワガママ末っ子さん(私も末っ子ですが)でした。
彼女の洗濯物が実は1番多くて、大変だった?
義妹は身長180cm超えの大柄さん(という表現に留めます)で、義両親と義妹、旦那の服の大きさがほぼ同じときてる・・・
そして、毎日毎日取っかえ引っ変え服を着ては、全部洗濯カゴに入れる。カゴに入ってたら良い方で、彼女の部屋には脱いだままの形の、レギンス2枚重ね&おパンツをはじめ、たくさんの服ががそのまま床に落ちている。
超特大のバスタオルも何枚も・・・
それらを全部仕分けて、たまに部分洗いまでして、せっせと洗濯をしてました。
6人分だけど4人分の衣類が大きいので、毎日何回も回しました。
旦那には、自分たちだけの分以外することない!と止められましたが、
「あなたは仕事探しを理由にできるけど、私には言い訳がない」
と喧嘩もしました。
今なら、私がそこまでするべきではなかったなと思えるけど、当時は、色々助けてくれてる義両親を助けたい、一生懸命家事をする事で、少しでも肩身の狭い思いから解放されたいという思いから、頑張ってしまったのですねぇ。
要するに、自己満足です。
洗濯物を畳んでも、自分の部屋にすら持って行かない彼女に、持って行かないの?と何度か声をかけたけど、
「たまさぶろうは、楽しくてそんな事やってるの?」
と言われてしまい、あぁ、生きてる世界が違うんだわ、私たち・・・と諦める事を学んだあの頃。彼女は若かったんですねぇ。
1度、義父が、あまりに自分の事をしない義妹に腹を立て、畳んだ大量の洗濯物を、彼女の部屋に全部ぶち投げた事がありました。あれは気分爽快だったな?
まあ、でも洗濯することは好きだったし、自分が微力ながらも誰かの役に立ってるかも・・・と思えたので、精神のバランスを保つにはちょうど良かったのかもしれません。
でも、同居中、義妹にはいっぱい助けてももらったんですよ!
1人でバスに乗るのも不安だった私を、買い物に誘ってくれたり、息子と遊んでくれたり、積極的に日本語の単語を覚えようともしてくれたのも彼女。
今でも、「おなかすいたー」「う○ち」「一気(飲む掛け声)」等々たくさん会話が通じます(笑)
さて、この頃、旦那は何をしていたかというと、昔務めていた金融関係の仕事にまた就けるかもと、履歴書を送っては断られ、送っては断られの繰り返し。そして夜な夜な私を責めていました。
「どうして君は日本に帰ると言わないんだ!」
「君が帰ると言わないから、僕がしんどい思いをしてるんだ!」
と。
いやいや、こっちだって清水の舞台から飛び降りるくらいの気持ちで渡英決めて来てるもんで、ちょっとやそっと仕事が見つからんからといって、ほな帰ろうか!とはならないわけですよー!
この頃には、環境の変化や日々のストレス、旦那からの八つ当たりや愚痴も増え、ヒステリー球様(自己診断です)の症状に悩まされ、ホームシックもあってよく泣いていました。
え!!!ここまで全然、楽しそうじゃないやん?って?
これから、楽しくなっていくんですよー(本当に?)
長くなるので、~その2~に続きます。お楽しみに♪
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