学校に行く、行かない
今回は学校に通う子供たちをテーマに、これからの教育は難しくなるという話をしたいと思います。
国によって違いはありますが、義務教育である6歳から15歳ぐらいの期間に学校に行くのと、行かないでは、どのような影響があるのも比較してみました。
学校は当たり前
「学校に行くのは当たり前。行かないなんてありえない」というのが大半の意見でしょう。私もその1人だと思います。しかし、先日見たニュースで、学校に行くことを疑問に思い出した小学生が、登校拒否を始めたという内容がありました。両親も「そこまで行きたくないなら、行かなくてもいいんじゃない?」という意見でした。
最初に返ってくる一般的な意見だと「義務教育なんだから、親が子供を学校に行かせるのは、当然の責任だ!」という答えが返ってくると思われます。
もちろん政府が無料で教育を受けられる場所を庶民に設けているという事実は、税金を払う国民はぜひ活用して子供の成長を促すべきででしょう。
しかし、学校に通って勉強することは団体の組織に所属しなければいけないことであって、それにうまく対応できない子供たちも多くいます。
団体の組織での孤独感
団体の組織に所属することがうまく対応できないから、その方法を勉強しに学校に行くべきであるという意見もあります。
それでもできない子はできないのです。そのできない子が、クラスの中では、みんなから認めてもらえずに、ひどい時は、先生にも見放されてしまい、自分の行き所を失ってしまうのです。
そのような子供たちが「学校に行きたくない」という気持ちはわかります。もちろんはじめは、それでも親は「頑張って学校行こうね!」って言うかもしれませんが、現場に行っている本人の気持ちは、そう簡単には晴れることはありません。団体の中にいる孤独感というものは、大人でさえ、耐えられないものがあります。
500人の学校260校全て登校拒否
日本では、小学校、中学校で、登校拒否をしている生徒の数が13万人といわれています。例えば、500人の学校が260校も全て封鎖状態と考えると、どれだけ多くの子供たちが学校に行きたくないと主張しているかを見ることができます。
これ以外にも、「いじめられて、本当は学校に行きたくないけど、我慢して行ってる。」という子供も相当な数いるでしょう。学校で辛い思いをするのは、それに対応して解決しようとしない本人の責任だと押し付ける大人がいるかもしれません。しかし、まだ10年ぐらいしか生きていない子供にそれを判断させるには、難しいのです。
大人たちが、子供たちを安心させて勉強できる環境を提供するのが、我々の役目だと思います。教師という職業は、大勢の子供たちを同時に指導して、仕事の量が多く、ストレスのたまる仕事だと思います。その先生が、それだけのストレス、プレッシャーに耐えられる環境を作る、まずはそこから改善していかないと、大人からのサポートを必要とする子供たちが、最善の環境で学習することはできないと思います。
教師という職業の難しさ
もちろん教育の世界ではプロと呼ばれる優れた先生もいっぱいいると思うのですが、生徒全員の悩みを把握して、1人1人の対応をするのは、大変なことだと思います。そして、日々の仕事量にいっぱいいっぱいになった先生が、全ての生徒を平等に気を配ることができず、生徒を無視してしまうという事例が出てくるのだと思います。
このような状況が解決されない限り、無視された生徒は、いつになっても「学校に行きたくない」思いで、つらい日々を過ごす事になります。
情報社会の発展で子供に変化
先生が生徒の世話をしきれなくなってきた他の理由もあると思います。それは急激に発展した情報社会です。
現代の人間は、平安時代に(今から1000年ぐらい前)生きた人間の一生分の情報を、1日で収集できるそうです。50年前と比べるにしても、ここ10年で、その方法は、スマホのおかげで、急速に迅速になり、1日の情報量は比べ物にならないぐらい増えていると思います。
今や子供もスマホを持つ時代。その子供が、先生以上に情報を手に入れて、その情報を生きるために活用する時代となっています。
そんな情報量たっぷりの子供に先生が教えられることは限られてきます。「学校に行けば先生に教えてもらえる」内容が、検索エンジンで調べれば、勉強できる時代なのです。
在宅学習
そこで疑問になるのが、みんなで勉強する場所に行って、人間関係がうまくいかず、勉強の妨げにになる思いをしなければいけないのでしょうか。
冒頭の学校に行くことを疑問に思い出した小学生が、登校拒否を始めたというニュースでは、親が認めて自宅で勉強という決断をしました。イギリスでも在宅で親が教育をするという家族を耳にします。
親の真の誓いがあれば
もし、子供が学校で無視されて、つらい悲しい思いをして、楽しむべき5年、10年を過ごすのであれば、在宅で勉強もありだと思います。ただし、親が本当に責任を持って10年教えられると誓うべきだと思います。人生のはじめの15-20年は重要な時代です。自分で判断できない子供に親のサポートは絶対に必要になります。
あらゆる解決策を
親が子供の在宅教育が無理だと思ったら、すぐに家庭教師などを雇って、解決策を探さないといけません。もし子供に在宅学習を進めるのであれば、それぐらいの準備は必要です。それができないのであるならば、学校での問題を、先生と生徒たちと戦い、子供が学校に行ける環境を作らなければいけません。
繰り返しになりますが、子供の悩み解決は親、又は大人のサポートが必要になります。学校に行く行かないという見た目の行動だけで、「ダメ」と判断せずに、行かないなら「どうして行きたくないのか」「行かせるためには、どうしたらいいのか」「行かせないのであるなら、どのような別の方法で解決してあげるか」これが考えるべき大人の責任だと思います。
まとめ
学校に行くと
- 義務教育を受けられる/親は安心できる
- 団体の組織で活躍する方法が学べる/人と接する事によりコミュニケーション能力が発達する
- 教育のプロ、先生のアドバイスが聞ける
- 勉強をしたくても、ほかの生徒や先生による精神的圧力で集中できない時もある
- 「学校に通いなさい」という親からのプレッシャーと「いじめられるから/無視されるから、いきたくない」という間に立たされつらい思いをする
学校に行かないと
- 人に接する機会が減り、団体組織で活動する機会を失う
- 自分に目標が持てないと(親のサポートが必要)、何も学ばずに大人になってしまう。
- 学校で受けるストレスから解消される。
- 外部からの干渉はなく、集中して勉強ができる。
- 親は子供に教育を止めることは絶対に許されない
前に述べた情報交換手段の発展で、SNSなどの場で自分を主張できる機会が増えました。子供たちの悩みの声も、そういった方法で、大人たちがより知ることができるようになりました。逆に言いすぎて人を傷つけてしまう危険性もあります。
何が正しくて、何が正しくないかは、自分で判断する能力がさらに必要になってきています。現在の増え続ける情報量を学校だけでは教えられない時代がきてるように思います。子供の教育に悩む親たちこそ、正しい判断が問われます。
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‘ふわりいぎりす’は、イギリスにいる日本人ライターたちが気が付いたこと、発見したこと、知っていること、思ったこと、教えたいこと、気になることなど、ちょっとだけお伝えするウェブマガジンです。
こちらの記事を読み、なんと繊細で子供を大切に思う親御さんなのだろうという事と、子供時代のご自分の気持ちを忘れずに様々な体験を糧に素敵な親御さんになられたのだなぁと私は感じました。私は、どちらかと言うと、学校と友達と過ごす時間が自分らしく生きる場所でした。まぁ、所謂昭和のガッチガチスパルタ教育の親父が法律じゃ!的厳しい家庭だったので、学校は当に解放区でした。
田舎だったから、「遊びが勉強」「遊んだ分学びも増える」校風の義務教育のある環境を田舎育ちの祖父が都会育ちの両親を超えて、私達孫に与えてくれたので感謝です。そこに馴染もうと奮闘してくれた両親にも感謝しかありません。
集団の中では意のままにならぬ事もある、自分と他人とは比べる事は出来ない事、持って生まれた他人との違いに悩み出した時こそ、自分を見つけられると教えてくれた先生方が居てくれたので、大人になり社会に出て、同調圧力を受け流して居るつもりで自分の心を殺して居たり、情報過多の今日の通勤電車の中はスマホに夢中で目の前の人を蔑ろにするおとなで溢れ、子供の見本に成れるかなんて考えてるのかな、、。なんて思います。しかし、情報が多いと言う事は子供にとってはよく言えば『自ら選択肢を増やし、自分でゴールを選び、先人のブログやあらゆる実体験による失敗や成功も、知識として入手出来る』ということ。
大人が手伝えるとしたら、子供達が大人から与えられるだけでは無く、自ら欲し手を伸ばして掴み取る機会を持てるような『居場所』をもっと社会に資源として作って行ってあげることなんじゃないかな。と私は強く思います。そして何より、自我の芽生えた子供のこころからの声に耳を傾けてあげられること。もちろん、子供さん達を護る親御さんの声にも。現代の子供さん達には、webやARやVRを上手く活用して造られた世界に染まるのでは無く、自主性と自発性を発揮して進化した道具を使いこなし、現実世界を豊かにする事こそが他人をも動かすチカラになることをどんどん学んで欲しいです。『当に頭と鋏は使いよう』